2019.10.18

AFが未来だった時代 Vol.1 AFの夜明け KONICA CF35AF ジャスピンコニカ

オールドレンズポートレートフォトグラファーの上野由日路です。今回から数回にわたり「AFが未来いだった時代」と題してAF黎明期の機材を紹介していきたいと思います。1970年代に、自動露出カメラ(AEカメラ)で世界にどんどん進出していった日本のカメラメーカーがさらに先進的なカメラを目指してオートフォーカスカメラを次々と発表していった。当時オートフォーカスカメラは未来のカメラの象徴であるが実用化は困難と思われていた。しかし日本のカメラメーカーはあっという間に難題を解決してオートフォーカス全盛期を築いた。未来を目指して邁進した日本カメラの足跡を紹介していきたい。第一回目は世界初のAFカメラの実用機、コニカC35 AF通称「ジャスピンコニカ」だ。

1977年11月に発売されたKonica社の「ジャスピンコニカ」C35 AFはカメラ業界全体に衝撃を与えた。カメラが自動に被写体との距離を検知してピントを合わせるAF(オートフォーカス)機能を世界で初めて搭載していたからだ。C35AFの誕生以降、世界中のカメラメーカーはAFの開発に本格的に乗り出す。

C35AFでオートフォーカス実現できたのはハネウェル社の距離検出モジュール(VAF)の登場による。VAFは原理的にはレンジファインダーと同じで2つの窓から入って来た画像が全く同じになったらそれを合焦点として検出するセンサーだ。このVFAをコニカのエンジニアが試行錯誤の結果、実用域まで高めてC35AF二搭載した。ちょうどKonicaC35のロゴのあたりにVAFユニットが搭載されている。当時オートフォーカスカメラの試作はキャノンやニコンなど、どのメーカーも取り組んでいたがいずれも巨大なモジュールになってしまっていた。コニカのAFカメラもレンズだけで2Kg以上でとても実用化できる代物ではなかった。ネックになっていたのはピントを合わせる為の距離検出装置でこの装置の小型化がオートフォーカスカメラ実用化の鍵を握っていた。どうしても実用化にこぎつけたかったコニカの技術者はアメリカのハネウェル社の距離検出モジュール(VAF)に目をつけた。ハネウェルの距離検出モジュールはNASAからの依頼により当時最新のIC技術を駆使して極限まで小型化されていたからだ。コニカは8年の歳月をかけてオートフォーカスモジュールを弁当箱2個分程度の大きさまで小型化していたが、ハネウェルの距離検出モジュールは角砂糖一個分の大きさであった。ハネウェル社のVAFモジュールを手に入れたコニカのAFカメラ開発は飛躍的にスピードアップするがそれでも数々の障害が残っていた。その中のひとつにVAFモジュールの精度があった。この問題はピントをいくつかのゾーンに分けることで対応した。ゾーンフォーカスシステムになっていたこれまでの機種の「ピッカリコニカ」で採用していたゾーンフォーカスを用いることである程度の精度でもピントあわせが出来たのだ。もうひとつはモーターの問題だ。距離検出モジュールが小型化出来てもレンズを駆動する為のモーターの小型化が困難であった。モーター本体と駆動用電源、モーターの制御装置などを搭載すると、どうしても大型化してしまう。そこでコニカの技術者はレンズの駆動を機械式にしてばねの動力のみでレンズを駆動させる方式を考案した。動力のばねはフィルムの巻き上げ時にチャージすることでモータを省いたのだ。それならば大幅な小型化が可能になる。こうしてKonica C35AFはマニュアルフォーカスのKonica C35EFシリーズとほぼ変わらないサイズまで小型化することに成功した。上がオートフォーカスのジャスピンコニカ、下がマニュアルゾーンフォーカスのC35 EF Dオートデート機能が搭載されたピッカリコニカで発売年的にはジャスピンコニカの1年後に発売された。正面から見る限りサイズは同じだ。上から見てもジャスピンコニカは微妙にサイズが大きくなっているもののマニュアルのC35EF Dとほとんど変わらない大きさだ。このサイズにオートフォーカス、オート露出、フラッシュを搭載することが可能となった。このカメラに追随して各社一斉にオートフォーカスカメラやオートフォーカス機能付き交換レンズを発売するようになる。しかし厳密なピントを必要とするオートフォーカス一眼レフの誕生まではまだしばらく時間がかかることとなる。

作例 モデル:Arly(アーリーズ)

※赤かぶりは演出としての露光です。

参考文献

日本写真機工業の技術革新 –197080 年代を対象にして- 矢部洋三

ノスタルジックカメラマクロ図鑑 Vol.5 P.76-P.78(NEKO Publishing)